ひげ紳士の考えるヒント

日々の感想を言葉に

パソコンのいらない男たち

 「おい。教えてくれ。これ。どうすればいいんだっけ?」

 

 一週間のうち、何度聞くかわからないセリフだ。六十歳前後の上司たちがパソコンの使い方を一向に覚えようとしない。メールの送信方法だったり、エクセルデータの印刷の仕方だったり、その他諸々。でも私はその度に自分の席を離れて彼らに根気強く親切に教える。明日こそは、明日こそは、自分たちでやってくれるだろうという淡い期待を抱きながら。

 

 コロナ禍により、社内のDX化が急速に進んだ。若い社員はそれほど問題ないが、歳を食った社員ほどDX化の流れについてこれないため、世代間ギャップによるひずみが生じている。しかも偉い人間ほどデジタルに疎いのでその影響は甚大だ。彼らはメールやSNSよりも電話を、パソコンでの作業よりも手書きを、電子データよりも紙媒体を好む。その傾向が仕事のスピード感を鈍重にし、ビジネスチャンスを逃してしまうことが多い。彼らはパソコンやスマートフォンタブレットを仕事を進める上で便利な道具だとは思っていない。むしろ敵意を抱いている。年号が令和に変わっても昭和を懐かしみ、古き良き時代の経験に頼ることでしか仕事をすることができない。

 

 どんなに惜しんでも過去はかえって来ない。これからのビジネスに過去を振り返っている余裕はない。余所見をすればコースから弾き出されるだけだ。世界は大きく変わりつつある。このままではいけないと、自分のうちなる声に注意を向けている者は気づいている。そしてすでに行動を起こしている。今動けないものは死へ向かう他ないのかもしれない。

 

 

 

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盗人

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例えばあなたが米を作る農家だとしよう。稲作は苗を育てることから始まり、その苗を植え、水田を管理しながら稲が頭を垂れるのを待ち、それから収穫を行うわけだが、その米が倉庫から一晩のうちにすべて盗まれてしまったとしたらどう思うだろうか。ちなみに私の故郷ではこの手のことが毎年のように発生する。

盗人には、農家の米を作るまでの手間暇がどれほどのものか、想像する力がないのだろう。

というのも、とある友人Aから、Aの知人であるKに金を貸したのだが連絡がつかなくなった、どうしたらいいかと最近相談を受けた。金額はおよそ10万円ほどだそうだが、Aは何が何でも取り返したいわけではなく、ただBとの友情の結末がこのような形になったことがただただ悲しかったらしい。私は助言らしい助言が思いつかなかったから、そのうち向こうからふらっと返しにくるかもしれないから気長に待てばいいとだけ言った。

それからBがどうして金を持って行方をくらましたのか、私は色々と想像を働かせてみた。単純に彼が生活に困窮して金を欲したと仮定すれば、おそらく彼は長期的な視野で自分の生活を見つめることができないくらい追い詰められていたのだろうと思う。10万ほどの金額であれば働いて返せる範疇の借金だが、Bには途方もない金額に思われたのかもしれない。何か技能を身につけそれを活かして仕事を見つければ、借金どころか、逆に気前良く仲間にご馳走ができたかもしれないではないか。きっとBは自分に何一つ期待できない人間なんだと思う。そして彼は自分の人生に絶望さえしている。彼のこれからは暗闇しかない。

どんな人間であれ、自分自身から逃れることはけっしてできやしない。金を借りた友人から逃げられても、金を返さなかった卑怯な自分が影のように一生ついて回る。彼が救われる道は果たしてあるのだろうか。

盗人の人生についての考えの糸はここで切れたままだ。でも世の中の平和のため、盗人はすぐにあらためて善い行いをしてもらいたいと思う。

 

 

センスについて

        それは決して先天的なものだけではなく、経験によって磨かれる。

         自分にはセンスが備わっていないと決めつけてはいけない。  

       毎日食べ物を摂取するように、あらゆるものから刺激を受けることで、

            あなたのセンスは確実に育っていくはずだ。

       自信を持ちなさい。そして自信を持つ自分を大事にしてあげてほしい。

       ただでさえそれは壊れやすいのだから。丁寧に扱ってあげなければ。

         今年一年おつかれさまでした。来年もよろしくお願いします。

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はじめに

 

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 ふと自室の時計を見ると、まだ21時だった。

 一通りの家事を終えて、自分の時間をいつもより長く持てる。そうほくそ笑んだのも束の間、スマートフォンをみるとデジタルの表示は「22:00」となっていた。何て事はない、時計の電池が切れて進まなくなっていただけの話である。思わず弱々しいため息をつく。やれやれ。とりあえず歯でも磨こうか。私は洗面台の鏡と向き合いながら、改めて眠るまでの過ごし方をどうしようかとプランを練り直す。スマートフォンを見るまでに私は、わずか一時間ではあるけれども、その限られた時間で心に愉悦をもたらす音楽を聴き、お気に入りの作家の小説を読み、色々な調べものをする予定を頭の中に巡らせていたのだ。23時にはベッドに入りたい。やりたいことはたくさんあるが、貴重な睡眠時間を削ってまでしようとは思わない。結局私は小説を切りの良い章まで読んで23時きっかりに寝室へ向かったのだった。

 35歳を過ぎたあたりから、自分は今まで何も学んでこなかったのではないか、と考えるようになって、少しの隙間時間を惜しんで自分の時間を作るよう意識している。それは心理学でいう「ミッドライフクライシス」によるものだろうか。自分の人生のこれからについての不安、あるいはもっと違う人生を歩めたのではないかという後悔、それらの感情が入り混じって危機感を覚えるのだろうか。ただ「ミッドライフクライシス」に陥ると人によっては出社を拒否する、アルコール依存症になる、鬱症状が出るらしいので、これからは自分の心身のバランスに気をつけながら生活することが大事なってくる。幸いにも今のところはポジティブな面しか現れていないから、追い風に乗ったつもりでこれまでとは違った景色が見られる場所に辿り着けたら良いと思う。

 可能ならこのブログを毎日更新したいところだが、まずは週に一回、毎週日曜日の夜に更新することを目指して頑張っていきたい。読み応えのあるブログにしていきたいので、是非お付き合い願えればと思う。